プロフィール

初めまして。Rioの音楽と心の部屋の管理人のRio(リオ)です。
神奈川県出身の30代の男です。

私の人生のテーマは『音楽』と『心の病』です。なぜこの2つが私の人生のテーマになったのかをお話させていただきます。

私は幼少期から音楽教育を受けた経験がないにもかかわらず、頭の中でメロディーがひらめくことが何度もあり、徐々に作曲への関心が高まります。しっかりとした教育を受けたいと思い、様々な学校や教室へ通うも残念ながら思ったような授業を受けることが出来ず、音楽教育に対する不満が募ります。

当時のピアノの先生から「作曲の授業を受けたいなら、うちの学校へおいでよ」と誘われ専門学校へ入学したのですが、作曲の授業なんてひとつもありませんでした。プロの作曲家に教わることもありましたが、基本的な知識に欠けていてまともな授業を受けることが出来ませんでした。日本の音楽教育の稚拙さを実感させられました。

自分の理想の音楽を作るために努力をしようとがんばって歩んできたのですが、大きな壁にぶつかり行き詰ってしまいます。しかし、そこであることに気が付いたのです。「本当に作曲家になって活躍したいなら、自分の人生が上手くいかない原因を他者に押し付けるのは止めよう」私に甘さがあったのも事実でした。

「自分が成長できないのは教え方が悪いからだ。」
「理論書の内容が難しくて理解できない。書き方がおかしい。」

当時はこんなことを考えていました。

でも、本当に自分が出来ることを全力でやってきたのかというとそうではありませんでした。
理論書の内容が理解できないのは書き方が悪いのではなく、自分の頭が悪かったのです。

そうして『自責』の意識を持ち始めてから、朝から晩まで音楽の勉強を繰り返し行いました。数え切れないほど行うようになりました。そして、徐々に自分の思い通りの曲を作れるように理解できなかった理論書も集中して読むようになりましたし、プロが作った曲を研究・分析も数え切れないほど行うようになりました。そして、徐々に自分の思い通りの曲を作れるようになってきたのです。

私には20年以上の音楽経験がありますので、理論の知識が豊富ですし、優れた理論書の見極め方にも自信を持っています。作曲や編曲が大好きで、朝から晩まで夢中になってのめり込んでいました。その経験を活かして音楽を愛する方々を支援したいと考え、ブログを始めました。

一方で、私の心は徐々に病んでいき、27歳のときに入院することになります。

思い返してみると中学生のときから心の異変に気が付いていて、苦しいと感じることはありましたが、まさか精神病にかかっているとは思いもよりませんでした。高校入学してすぐに症状が悪化し、中退することになります。19才の時には酷い睡眠障害に襲われます。不思議なことですが、この状況でもまだ病院へ行こうという気持ちが芽生えず、家族に話しても誰も関心を示さず、仕方なく必死に耐えながら生活をしていました。心の病だけではなく、毒親にも苛まされてきたということです。

初めて病院へ通うのが2007年です。

ついに私の病も良くなるだろうと甘い考えを持っていましたが、ここから日本の精神医療の酷さに気づかされます。

「あなたのような人はたくさんいますよ。」
「病名はよく分かりません。」
「うちの病院をどこで知りましたか?ネットですか?」

これで診察は終わりです。まったく私の病の深刻さを理解しないことがすぐに分かりました。この病院に通院しては駄目だと確信はありましたが、睡眠障害の影響で予約制の病院へ通院することが出来ませんでしたので、やむなくこの病院に通い続けました。そして2010の12月に入院することになります。

転院して別の病院で入院生活が始まったのですが、ここでようやく優秀な医師と出会います。わずか15分程度話しただけで私の病を見抜きました。私は「統合失調型パーソナリティ障害」という人格障害だったのです。当時はパーソナリティ障害について何も知らなかったので、なんとも思わなかったのですが、他人とは異なる価値観を持っていて、生きづらいという特徴があったのです。それを知ったときは少し落ち込みました。

しかし、他人とは異なる価値観というのは『個性』になるわけです。芸術家を目指す私としてはこれが最大の武器になるだろうと前向きに考えるようになりました。

優秀な医師と出会い、新しい薬を処方していただき徐々に回復していきます。これで最悪の状況から抜け出すことが出来ました。しかし、悲劇はまだ続きました。退院後は再び前の病院に戻らなければいけなくなりました。睡眠障害が完全に良くなったわけではなかったからです。

その医師は「ここでの診察では見抜けませんでした」と素直に誤診を認めましたが、紹介状の内容に文句を言い始めて「まったく反省してないな」と思いました。この予感が当たります。その後の診察では私の症状を言葉で伝えても覚えられず、病のチェックリストを印刷して持っていったのですが、それでも覚えられないのです。「君にもそんな症状あったっけ?へへへ(笑)」と笑っていました。

薬の説明も曖昧で分かりませんし、「君の病気は難しくて分からないんだよ(笑)」と何が面白いのか分かりませんが、終始笑っていましたね。

しびれを切らした私は「入院していたときに服用していた薬に戻して欲しい」と言いました。そこから規則正しい生活が出来るようになります。誤診をした医師から処方された薬は効果がなく、入院中の医師が処方した薬はよく効くのです。精神科医の能力の差がこれほどまでにあるのかと驚きました。

結局は入院中の主治医がいる病院へ通うようになり、そこで落ち着きます。少し自宅から遠いですが、前の医者に診察されるよりは、はるかにマシです。

精神科医以外にも看護師や臨床心理士、精神保健福祉士、もちろん一般の人からも偏見に満ちた言葉を投げかけられる経験を何度もしました。このように自分の人生を振り返ってみると、精神疾患やパーソナリティ障害についての理解が社会にまったく浸透していないことに気づかされます。

これらの経験から、私の心の問題は精神科医や臨床心理士といった心の専門家であっても、まったく解決できないことを悟りました。自分の力で這い上がっていくしかないと考え、それからは本を読んだり、仏教の教えを学んだり瞑想したり、様々な努力の甲斐がありブログの仕事が出来るまで回復しました。

ネット上では精神科医に対する苦情で溢れかえっています。もちろん患者側の主張が全て正しいとは思いませんが、私の経験も鑑みると日本の精神医療は多くの問題を抱えているように思えます。

自分の経験や知識が、悩んだり苦しんでいる方の助けになればいいなと思い、音楽だけでなく精神疾患や人生哲学の記事も書いていこうと決めました。同様の悩みを抱えた方がたくさんいますので、私のブログが少しでもお役に立てたら幸いです。

ブログの仕事で安定した収入が得られるようになれば、再び作曲活動に行っていきたいと考えています。作曲家として世界中で活躍するのが、私の人生の目標ですので。成長のための情報を共有し、共に成功を収められるようなブログを目指し、これからも記事を投稿していきます。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

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